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地理をエンタメに!地域の事象や旅について語る

次世代モデルの地方都市商店街を観察 ~地理オタクがうなる異例の再開発~

みなさんこんにちは。

 

今回は、地方都市にあるにも関わらず異才を放つある商店街について見ていきまし

う。

当ブログを読んでいる方は地理に興味がある方が多いので、すぐにピンときたのではないでしょうか。人口40万都市の”ある”商店街です。

 

①場所・概要

四国は香川県の県庁所在地、高松市にあります。

丸亀町商店街

おなじ香川県内の丸亀市から商人を招いたことが町名の由来です。

JR高松駅からは約1㎞の距離にあり、歩いていくことができます。

最寄り駅はことでんの片原町で、この区間はアーケードを貫くように線路が伸びています。商店街の中に駅がお邪魔している感じが面白いのです。

改札を降り、片原町商店街を丸亀町商店街方向へ歩いてゆくと、あることに気づくと思います。「やけに天井が高いな」。そして一番のメインストリートに着くとこう思うのです。「なんだこの商店街は??」

そこに広がっているのは地方の寂れたシャッター街ではなく、白亜の建物にルイヴィトンやコーチといった高級ブランドが入居して、人々が行きかう活気ある姿でした。ヨーロッパの通りを思わせるような巨大な吹き抜けにはエスカレーターや上層階同士をつなぐ橋渡し通路が設置され、屋根はガラスで組まれており日光が降り注いでいます。さながら、人気の郊外のアウトレットのよう。若者の心をぐっとつかんだような、来たくなる空間がそこにはありました。

なぜこのような商店街が高松にはあるのでしょうか。

②要因1

ポイントは、便利な地方鉄道と徒歩移動率の高さにあります。

地方鉄道=赤字、本数が少ない、不便というネガティブなイメージが付きまといますが、こと高松においては異なってきます。

高松市の中心部と郊外、観光地琴平を結ぶ琴平高松電鉄「通称ことでんは、地方において車いらずの生活が送れる便利な交通手段になっています。比較的駅間が短く、細かい需要をつぶさに拾っている、そういう印象を受けます。そして、以下の図を見てください。

朝ラッシュ時のターミナル駅である瓦町の時刻表です。どうでしょうか、1時間に13本と首都圏顔負けの本数となっています。中には1分後に列車が来るタイミングもあり驚きです。琴平線長尾線が終点の高松築港まで区間を重ねているため、高頻度運転となっているのです。

一番本数が多い区間だけ見ても不公平なので他の駅も見ていきましょう。

琴平線の途中駅、伏石(ふせいし)駅の高松築港方面の時刻表です。朝ラッシュ7本、日中4本というダイヤになっています。パターンダイヤになっているので、時刻表を気にすることなく利用できるのは便利です。

また、現在ではごく当たり前に使用されているIC乗車券「IruCa」を地方私鉄としては先駆けの2005年に導入し、学生や70歳以上の高齢者、身障者用の運賃割引が適用されたIruCaを発売するなど、独自の方法で地元住民の移動をサポートしています。香川大学の学生証やレンタサイクルのキーとしても使うことができ、カード1枚あるだけで高松での生活がグッと便利になったわけです。これらの事情で鉄道移動が至便であり、中心商店街である丸亀町が栄えている一因となっています。

それと並行して、高松の地理地形がもたらす恩恵が丸亀町商店街の賑わいにスパイスを効かせています。

ご覧の通り、高松市の市域の北側半部が四国最大の平野である讃岐平野に収まっています。平地にぽつぽつとあるのはため池で、瀬戸内型気候帯に属し降水量が少ない香川独自の景観となっています。渇水が県全体の懸案事項な為、高知県土佐町、吉野川流域の早明浦(さめうら)ダムで貯水量を管理しています。うどんを茹でるために大量の水を消費するわけですから、香川県民にとって水不足は命とりなわけです。

話をもとに戻しましょう。

高松市街地は傾斜地が少なくフラットなため、雨が少なく日照時間が長いため、自ずと移動の選択肢に徒歩や自転車が挙がってきます。高松市街地の移動割合は自動車がトップではある(59.5%)のですが、次いで徒歩(16%)自転車(15.4%)という結果になっており、*1公共交通機関に頼らない移動がある程度定着しているという事情があるのです。

加えて、中心市街地がJR高松駅~瓦町(多く見積もって栗林まで)というコンパクトなエリアに収まっているので歩けてしまうという要因もあると思います。

③要因2

丸亀町商店街の繁華ぶりのもう一つの要因として、民間主導で開発を進めた経緯があります。要は、国や自治体よりも地元住民や自営業者の声をもとに形成されたという事です。

丸亀町は高松城築城時からの城下町として約400年の歴史があり、主にファッション店舗を集積させ流行の中心として栄えてきました。

一方、1970年代になると自家用車が普及し、いわゆるモータリゼーションが加速していきます。車で来てもらうための駐車場の用地を取得するため1972年「丸亀町不動産会社」を設立。商店街の意匠からイベントまでをワンストップで管理する体制が整いました。各々個人が持つ城下町時代の短冊状の土地所有権を共有し、商店街全体で店舗を開発管理する体制が整いました(現在は高松丸亀町まちづくり株式会社が一括で管理)。

瀬戸大橋が開業した1988年には丸亀町開町400年祭を開催、108日という日程を無事に終えたのですが、「今後はモータリゼーション中心市街地の賑わいが郊外の大型店に流れてしまう」という危機感が現場には流れていました。

そこで、今一度商店街の在り方を再考。ショッピングモールのように回遊性の高い商店街を目指し、業種の偏りを無くすなどの試みが行われました。丸亀町の衰退=高松全体の衰退と考え、都市計画の有識者が協議会に加わり本格的に未来の高松を考えた調査、議論が進められたのです。

そして実際に中心地の流動が減少し空き家も見られる中、現在のようなヨーロッパ調のドームや外壁、アーチといったファサード(外観)を商店街に取り入れ、まるでアウトレットに来ているかのような高揚感を演出し、若い人達が満足するような商業空間を作り出すに至ったのです。

こうした地元住民主導の再開発に共感したデベロッパーが丸亀町の不動産価格が今後も上昇するとし、商店街の上層部にマンションを開発する動きが出始めました。中にはクリニックを併設するところもあり、三越での買い物から診療までがほぼ住居の敷地内で完結するものすごい空間が創出されているのです。

 

④まとめ

高松丸亀町商店街の成功の理由は・・・

・地域に根差したサービス精神旺盛な私鉄(ことでん)の存在

・雨が少なく日照時間が長いため、域内の移動手段で徒歩、自転車の割合が全体の30%を占める為

・国、自治体のトップダウンではなく、地元住民、商店街関係者、学者主導で開発を進めた為

・江戸時代から続く個人の土地所有権を共有し、区画の大きい再開発ができた為

デベロッパーが積極的に参入し、店舗上の空白(上層部)をマンション、医療施設として活用し、今までにない高次元空間を作り出した為

 

丸亀町商店街は、今あるものを生かしながら不足しているものを加筆し、今まで以上のポテンシャルを発揮しているえげつない商店街で、次の時代(=人口減少、コンパクトシティ)を本質的に見据えている数少ない事例ではないかと思います。他地域から来てもらうだけでなく、商店街に住んでもらうという方向性はお見事です。なにより、写真を見ているだけでもワクワク、高揚する景観が素敵ですね。

高松は3回行ったことがあり、高松港エリアの倉庫を改築した商業施設「北浜ALLEY」もわざわざ足を運ぶ価値があります。こちらは古き良き波止場の雰囲気をいかしたファッション、雑貨、カフェ店舗が入居しており、非常におススメです。

 

 

www.kitahama-alley.com

思えば、尾道U2然り、瀬戸内地域は再開発商業施設の宝庫ではないでしょうか。そして全てハイセンスです。これらをまわるだけの旅行も面白そうですね。

今度高松に行く際は、じっくり丸亀町を観察したいと思います。

 

それでは次回、こうご期待!