Ge男

地理をエンタメに!地域の事象や旅について語る

地理学科卒 28歳会社員が行く京都1泊 4

烏丸御池イノダコーヒで最高の朝食を頂いたあといったんホテルへ。

 

家族5人が乗れるタクシーが捕まるか不安になりながらも、奇跡的に流しのワゴンタイプに乗車することができ移動開始。前日にMKタクシーを予約しようと電話をしたが、翌日の配車は全て埋まっているとのことで、需要のひっ迫具合を垣間見た。

当初、二条城を見学する予定だったが誰かの「前に行ったことがある」という一言で取りやめになり、何回もいった金閣寺へ行くことになった。金閣寺まではメーター料金で4000円近くになり、思いのほか遠い。周辺に鉄道駅が少なく、超絶有名な観光地ながら以外とアクセスが難しいのである。京都駅発の市バスを利用していった際もバス停から少し歩いた記憶がある。

平日ながら、インバウンド客と修学旅行生が一堂に集い順路がなかなか進まない。6月といえど30℃近くまで気温が上がっていたので、祖母を休ませるためにいったん団体バス駐車場横のベンチに腰掛けた。

毎度のごとく、拝観券の代わりのお札をもらい敷地へ。

途中ド定番のベスト撮影スポットがあり、そこでまた流れが止まる。

ちょっと待てば意外と苦労することなく写真を撮ることができ、祖母とのツーショットを取ってもらえるくらいの余裕があった。f:id:shidare225:20240211150246j:image

足元がいいとはいえない順路を、人ごみの中歩いていく。前回金閣寺を訪れた時は緊急事態宣言下、観光客もまばらで雪が舞うような天気だったので、そのギャップに驚いてしまった。

帰路だが、タクシー乗り場の縄張りのようなものがあり、流しのワゴンタイプを泣く泣く見送った。乗客にとってメリットのない乗車方法の強制はなんとかならないものだろうか。しばらく待っても希望の大きさの車が来ないため、仕方なくバス停まで歩いた。

京都駅はポルタ地下街のうどんとそばの店で昼食をとり、早い時刻の新幹線に乗る叔母夫妻、祖母と解散。

母がかねてから希望していた錦市場へ行ってみることにした。

地下鉄烏丸駅から阪急河原町駅まで続く長い地下通路を通り、大丸の土産物コーナーから地上へ出る。

休日の小町通りだな」という感想がこぼれ出た。狭い路地に商店がひしめき、観光客でごった返す様子は鎌倉の小町通りそのものであった。

何軒か冷やかした後、漬物店でお土産を購入。新幹線の時間が迫っていた母に「間違って阪急に乗らないように」とくぎを刺し見送った。

私はあと3時間くらい滞在時間が残っていたので、京都が誇る名サウナ「梅湯」へ向かう。急いで河原町駅のバス乗り場に向かうもののタッチの差で逃してしまう。しかし心配することなかれ、すぐに次のバスが来てくれた。

余談だが京都市バスは乗降時、独自の乗降促進メロディーを流すのだが、それを聞くと「自分は京都にいるのだな」実感する。実際のところ、接近音やドアチャイムといったなにげない「音」の効果は絶大で、旅情に彩りを添える。

10分程揺られ、バス停を降りる。場所でいうと鴨川近く七条に位置し、京都駅から1キロくらいの立地。14~26時営業なので、帰りの新幹線に乗る前の〆にちょうどいい。f:id:shidare225:20240211150511j:image

昔ながらの銭湯系のサウナで、大人490円(貸しタオル別50円)という破格で、常連さんで賑わう名湯である。受付にはサウナグッズ(梅湯と書かれたキャップがかっこいい)や豊富なドリンクが並び、常連、観光客、外国人と分け隔てなく愛される理由が分かった気がした。

肝心のサウナ室は狭いものの湿度、温度は十分。ドアの開閉が多いく熱すぎないので初心者にも来てほしい。肩までつかる深い水風呂と滝水で一気に整いへ向かう。壁に掲示されている、スタッフ直筆の「梅湯新聞」も必読だ。しっかり4セットやり爽快な気持ちで京都駅へ向かう。

新幹線まで45分を切っていたが、最後に京スイーツをと思い、中央改札目の前、JR伊勢丹別館「中村藤吉本店」で抹茶パフェを頂く。

3組ほど並んでいてひやひやしたが、思いのほか回転が速く、10分ほどで入店できた。もう一つの有名店「都路里」とは対称的に、抹茶粉で書かれた「十」の文字がひと際目立つ。カステラ、パフ、ムース、小栗、ジェリー、小倉あん、ムースと味と食感の変化を楽しめるのがパフェの魅力。短い時間ながら京都旅行の締めくくりを楽しんだ。f:id:shidare225:20240211150709j:image

 

1泊2日ではあったが、御年90になる祖母含めて家族で京都を満喫でき、無理やりスケジュールを合わせて行った甲斐があった。読者の皆さんにおいても、日々せわしない毎日の中、是非とも家族で旅行に出かけていただきたい。巷で反響を呼んだ書籍「DIE WITH ZERO」の回し者ではないが、健康なうちに、足腰が動くうちに家族、妻、友人との思い出を作り、「記憶の配当」の恩恵を受けてほしいと願う。